2018年8月2日木曜日

【霊夏】1.【オリジナル小説】

■あらすじ
父が再婚すると言ったのを機に、自分を産んで一年後に亡くなった母の故郷を訪れた少年は、謎の少女と不思議なお盆を過ごす事になる……ほのぼの系現代ファンタジーの短編です。
※注意※2013/08/15に掲載された文章の再掲です。新規で後書を追加しております。

▼この作品はBlog【逆断の牢】、【カクヨム】、【小説家になろう】、【ハーメルン】、【Pixiv】、【風雅の戯賊領】の六ヶ所で多重投稿されております。

■キーワード
現代 幽霊 盆踊り ほのぼの ライトノベル 男主人公

小説家になろう■https://ncode.syosetu.com/n2253bt/
カクヨム■https://kakuyomu.jp/works/1177354054881698055
Pixiv■https://www.pixiv.net/series.php?id=766662
ハーメルン■https://syosetu.org/novel/74118/

■第1話

1.


「――父さん、再婚しようと思うんだ」

夏休みが中盤戦に突入した或る日。扇風機で涼を取りながら、「夏休みの友」と言う名の宿敵と死闘を繰り広げていると、食卓に着いた父さんが不意にそんな事を呟いたのが、確かに聞こえた。
シャーペンの芯を戻しながら、僕は何と無くテキストを閉じた。改めて父さんを見やると、真剣な表情で僕を見つめている姿が映り込んだ。
僕こと六道《りくどう》恵太《けいた》に母親はいない。僕を産んで、一年くらいで亡くなったらしい。だから小学四年生になった今まで、ずっと父さんと二人暮らしだった。
寂しいと思った事は……無いと言えば嘘になる。でも、父さんがいてくれれば、それでいいんだ、とも思ってる。父さん、僕にかなり甘いし。そりゃ叱る時も有るけど、いつも僕の事を大事に考えてくれてるって、感覚で判った。
小学生になった頃から、母さんがいない事に対して違和感を覚えるようになったのは事実だ。授業参観の時に、家人が誰も来てくれなかったと言う事実を思い出すと、今でも憂鬱になる。父さんが仕事だから来られないのは知ってたけど、友達の皆が母親に来て貰っているのを見かねた僕が、どんよりとした気持ちになったのは言うまでも無い。
――どうしてうちにはお母さんがいないの?
授業参観の日に堪りかねて父さんに詰め寄った。父さんが神妙な面持ちで、僕をギュッと抱き締めてくれたのを、今でも憶えてる。父さんは言った。母さんは今、天国にいるのだと。
父さんが、亡くなった母さんを今でも愛してる事は、普段の姿を見てればすぐに判る。毎日仏壇の前に座って、十分くらいジッと念を込めてる姿を見れば、そんなの一目瞭然だった。
そんな父さんが、再婚……? 正直に言うと、嫌な気持ちが湧く程ではないにしても、変な気分だった。母さんがいなかった今までの事を考えると、新しい母さんと言うよりも、僕にとっては初めての母さんと言えるのだから。
だからだろうか、特に嫌悪感を懐く事も無く、父さんと目を合わせて、「そっか。いいんじゃない?」と適当に応じてしまった。正直、どう答えたらいいのか判らなかった、ってのも有る。
再婚。どんな人がやってくるんだろう。父さん、人を見る目は有るのかな? 優しい人だったらいいな。ご飯美味しいかな? 綺麗な人かな。
取り留めも無く考えていると、父さんが「恵太なら、反対するかと思ったけど、杞憂だったみたいだな」と安堵した表情で微笑を滲ませた。
「反対? どうして?」
「いや、先入観だと思う。……“新しい母さん”、って言うと、あんまり良い響きじゃないだろ?」
そりゃあ、あんまり良い響きではない。まるで僕を産んでくれた母さんが“古い母さん”って言われてるみたいで、気分の良いモノじゃない事は確かだ。
でも……実感として、今まで母さんを意識した事が無かった僕にとって、初めての母さんな訳だし、嫌な感情を懐くよりも、寧ろ好奇心の方が強かった。
「僕は反対じゃないよ」父さんと視線を合わせたまま、もう一度賛意を口にした。「でも……そうだなぁ。前の母さんに失礼じゃなければ、いいかな」
父さんは優しげな眼差しを向けて、僕の頭をポンポンと二度撫でた。父さんが嬉しい時に見せる反応の一つだ。見上げると、父さんも「そうだな。母さんに失礼な人は、父さんもごめんだ」と満足そうに笑んでいた。

◇◆◇◆◇

「……ねぇ、父さん」
お風呂を上がった後、寝間着に着替えると、居間で扇風機に浸っている父さんの背に、意を決して声を掛けた。
父さんがテレヴィから視線を逸らし、こちらに意識を向けたのを確認してから、僕は改めて口を開いた。
「僕、お婆ちゃん家に行ってこようと思う」
テレヴィから流れる野球の中継が静かに聞こえる居間で、父さんは僕の発言を吟味するように、視線を上に向けて「んー」と考え込み始めた。
「一人でか?」
「うん。だって父さん、今お仕事忙しいでしょ?」
僕は夏休み真っ只中で、毎日「夏休みの友」との戦いに明け暮れたり、友達とテレヴィゲームに興じたりしていられるけど、父さんのお仕事は土日も祭日もゴールデンウィークもお盆も正月も無い、とても大変な職種だ。僕は勝手にブラックな企業だと考えてるけど、父さん曰く違うらしい。
もう間も無くお盆に突入するところだけど、父さんは「むむ」と難しい表情で眉根を寄せる。今年もお盆休みは無いのだろう。例年の事ながら、父さんは頑張り過ぎだと思う。愚痴を言わないし、弱音も吐かない。
「――いつ行くつもりなんだい?」
頭の中で予定を色々立てては消してを繰り返した結果だろう、父さんは諦念を感じさせる表情で小さく溜息を零すと、そう尋ねてきた。僕はお風呂の中で考えていた計画を徐に口にする。
「お盆に泊まり掛けで行こうかなって考えてる。その間なら、ラジオ体操も無いし」
僕の住む地区では、お盆の三日間はラジオ体操が休止となる。正確には、ラジオ体操自体は行われるが、スタンプを捺す人がお休みなのだ。ラジオ体操の皆勤賞を狙ってる僕にとって、旅行に出掛けるならお盆休みしかなかった。
居間に貼られている新聞屋さんのカレンダーを見上げ、日にちを確認すると、父さんは再び「むむ」と小さく唸った。何事か考え込むように腕を組んで俯くと、やがてポンと膝を叩いてこちらに向いた。
「――うん、判った。お婆ちゃんには連絡を入れておく。電車で行くんだろう?」
「うん。父さんといつも一緒に行ってたから、大丈夫」
毎年、お盆が近くなると父さんと二人で電車に揺られて墓参りに行くのだけれど、一昨年から父さんの都合が合わなくて、お盆を諦めて、父さんの休みの日に墓参りに行く、と言う予定を立てていた。
今年もお盆の最終日に何とか父さんの都合が着きそうなので、お婆ちゃん家に行くのはその日でも良かったのだけれど、そうしたらラジオ体操の件も合わせて、一日しか向こうにいられない。だったら父さんに迎えに来て貰う形で、お盆の初日から泊まりに行った方が有意義に過ごせると思ったのだ。
「だったら、判らない事が有ったら、駅員さんに何でも聞くんだぞ? あと知らない人には付いて行かない事。何か問題が起きたら、父さんの携帯にメールなり電話なり入れる事。いいね?」
父さんもその考えに気付いてくれたのだろう、特別反対する様子は無く、併し心配性な態度で念を押すように告げた。
「うん、判った」
首肯を見せると、父さんはポンポンと僕の頭を撫でた。
「じゃあ、気を付けて行っておいで。お婆ちゃんの言う事、ちゃんと聞くんだぞ?」
そう言って父さんは、「念のためだ」と言って時刻表を取り出してきて、色々説明をしてくれた。数回しかお婆ちゃん家に行った事が無いけど、大体記憶通りだった。
今よりもっと小さい頃に二回……いや三回だけ遊びに行った、お婆ちゃん家。つまり、母さんの生家。その頃はまだ父さんもそんなに忙しい時期じゃなくて、ちょくちょく二人で観光に出掛けたけど、その頃を境に忙しくなって、もう随分と旅行なんてしてない。
……別に母さんが恋しくなった訳じゃない。でも何か、新しい母さんが来る前に、僕は僕で、前の母さんの事を考えたいって言うか、どんな人だったのかなって、無性に知りたくなったのだ。
父さんに訊けば一番手っ取り早い話だ。でも僕は、父さんからじゃなくて、お婆ちゃんから聞きたいと思ってしまった。だったらこの夏休みを使って、直接聞きに行けばいいんじゃないかって。
思い立ったら即行動。そういう思考回路は、父さんに「恵太のそういう所は、母さん似だよ」とよく言われる。そんな母さんの故郷で、母さんに就いて考える。それは何だか素敵な事なんじゃないかって、思えたんだ。

◇◆◇◆◇

お盆の前日。ラジオ体操を終えた僕は、父さんが出掛けるのと一緒に家を出た。鍵を掛けて、駅の前まで父さんに送って貰う。
「恵太の事だから、変な事はしないと思うけど……何か遭ったら遠慮無く電話してくれていいからね? 後、くれぐれも知らない人には付いて行かないように。いいね?」
「父さんは心配性過ぎるよ」
苦笑を返して父さんと別れると、問題無く切符を買い、電車に乗り込んだ。何度か乗り継いで、風景が高層ビル群から田園地帯に切り替わっていく。コンビニさえ有るのか怪しそうな雰囲気の長閑な風景を見ながら、水筒に入れたスポーツ飲料水を口に含む。
「次は東狐寺《とうこじ》、東狐寺~。お出口左側になります」
車掌さんの声に過敏に反応して、慌てて水筒をリュックサックに戻し、毅然と立ち上がる。揺れる車内には、僕以外の客は疎らにしか見当たらない。ガタゴトと音を立てるだけで、車内はとても静かだった。
クーラーの効いている電車から出ると、むわっと蒸した空気が全身を包み込んだ。耳鳴りしそうな程の蝉の合唱に、じりじりと照りつける直射日光。都会に比べて格段に「夏」を想起する世界……陽炎が浮かぶ、緑の稲穂の絨毯が僕の目の前に延々と広がっていた。
無人の改札口を抜けて、「東狐寺駅北口」と赤錆の浮いた文字を見やり、改めて駅の外に視線を向ける。
駅の前にはロータリーが広がり、寂れた焼き鳥屋さんや居酒屋さんが軒を短く連ねている以外は、遠くの方に大きな間隔を空けて数件の民家が見えるだけで、長閑と言うか閑散というイメージが強かった。
ロータリーの中には中央に噴水が設けられている。噴水は夏の暑さにやられてしまったのか、水を湛えてこそいるが、動きは全く無かった。停まっているタクシーも皆無で、蝉の合唱と立ち上る陽炎以外、見渡す限り人影は一つも見当たらなかった。
麦藁帽子を被り直し、僕はリュックサックの中から、父さんが描いてくれた地図を取り出す。的確な目印が記されているそれには、確かに眼前に在る噴水の事も描かれているが、地図上の噴水と現実の噴水では、かなり雰囲気に違和感が有った。
三年前に来た時も同じ感想を覚えた気がする。併し普段は父さんの先導で来ていたから、風景にまで視界が回らなかったのかも知れない。道順も、記憶の中ではいつも父さんの背中を追って歩いていただけだから、どうにもうろ覚えだ。
「えーと、こっちだな」
地図を確認してから、歩き出す。アスファルトから立ち込める蒸した雨水の匂いに、頭がクラクラしそうだった。
周りには田畑が広がるだけで、人影と言えば案山子《カカシ》ぐらいだった。三十分くらい歩き続けたら、ようやくマトモな人影を視認! 腰の曲がったお爺さんが、荷車を押して坂を上って行く姿が見えた。
緑の稲穂が視界一杯に広がり、都会では考えられない程、民家と民家の間が広い。民家は一軒一軒が大きくて、どれもアパート暮らしの僕には想像も付かない規模だった。畦道の脇には用水路が流れ、冷たくて気持ち良さそうで透明な水が絶え間無く田畑に流れていく。
車道と歩道の境界線が白線以外に無く、道自体がとても狭い。「とびだし注意!」と言う警告と共に子供が描かれた看板も、赤錆が浮いてて、夜にでも見たらちょっと怖そうな雰囲気を醸し出している。
曲がりくねった道は、緑の絨毯を作り出している田んぼを超え、雑木林の中に入って行く。僕はそこで一旦休憩を挟む事にした。バス停に設置されている古びた木製のベンチの上で、水筒を取り出す。
晴れ渡る空には疎らに雲が浮かび、雨が降るような気配は無い。降ってくるのは蝉の輪唱だけだ。どこまでも続いていそうな橙色の空の下で、僕は暫くのんびりと田園風景を眺めていた。
五分くらいそうしてると、不意に眠りそうになったのを機に勢いよく立ち上がり、再び歩き始める。父さんが言うには、徒歩で三十分くらいの距離らしいから、もう少しで着く筈だ。
雑木林を抜け、再び一面に緑色の絨毯が広がる景色に戻ると、やがて見えてきたのは、平屋建ての屋敷だった。近くに民家の姿は無く、何百メートルも離れたところに見えるのが、恐らく近所の民家なのだろう。
そうだ、これだ。眼前に佇む平屋建ての屋敷を確認して、顎に滴る汗を拭いながら、記憶の中に残っていた、お婆ちゃんの家と照らし合わせ、確信する。
今までは、墓参りには行くけど、お婆ちゃん家に寄る程の余裕が無かったので、お寺の方に直接行ってすぐとんぼ返り、と言う状態だった。そんな内情も有って、お婆ちゃん家に来るのは、本当に久し振りだった。
小学校のグラウンドほども有りそうな敷地面積を有する屋敷。名家だったのか高家だったのか、見ただけで尻込みしそうな風格のある佇まいである。
門の前に辿り着き、インターフォンを探すも、見つからなかった。
「すみませーん!」
大声を張り上げて、暫く待つ。併し一分経っても反応が返ってこなかった。
「……留守かな?」
奥の玄関は戸が閉まっているが、その前の門は開いている。元々門を閉める習慣が無いから開けっ放しになっているのかな? そんな事を考えながら門の中に足を踏み入れる。
砂利を踏み締めながら、玄関の前に立つ。よく見るとインターフォンが設置してある。なるほど門はあまり意味を為していないのかと納得する。
呼び鈴を押すと、家の奥からポーン、と言う間の抜けた音が聞こえてきた。
「すみませーん! 誰かいませんかー?」
暫く待つも、やっぱり反応は無い。
そう言えば、と父さんが言っていた事を思い出す。家の中にいないとしたら、畑に出てるかも知れない、と。リュックサックを改めて背負い直し、家の裏手へと回る事にする。
日が傾いてきたのだろう、屋敷が緩やかに明度を落としていく。砂利を踏みしだき、やがて家の裏手に回ると、畑……と言う程ではないが、小さな家庭菜園が見えた。
そこに老婆の姿が見えて、僕は思わず喉を鳴らす。
「こ、こんにちはー」
恐る恐る声を掛けると、老婆は緩慢な動きで立ち上がり、こちらに視線を向けて、盛大に破顔した。
「あらー、いつの間に来とったがけ? よう来たねぇ、いらっしゃい、けいちゃん」
歩み寄り、僕の手を握って嬉しげに振るお婆ちゃん。その手は皺くちゃで、ちょっと冷たくて、ひんやりしていた。優しげな面影を見て、僕はホッと胸を撫で下ろす。
「疲れとるやろ? 今案内すっから、こっち来られぇ」
重たい足取りで歩き出すお婆ちゃんを、「あ、お願いします」とリュックサックを背負い直して追い駆ける。
玄関から入り、大きな部屋に通されると、ようやく重かったリュックを下ろして、一息ついた。部屋には小さなテレヴィと、自宅のテーブルよりまだ広いちゃぶ台、それと写真立てが置かれていた。
お婆ちゃんが「今、お茶入れてくっから、待っとられねぇ」とどこかに消えてしまったので、ソワソワしながら待っているのも何だったから、写真立てを覗き込んでしまう。
白いウェディングドレスを纏った女の人と、タキシードを着た父さんが映っている。父さんは今に比べてだいぶ若く見えた。女の人は、こういう写真ではちょっと似つかわしくない、快活な笑顔を浮かべてピースをしている。この人を当然僕は知っていた。自宅の仏壇の写真の女性と、同じだったから。
「本当に一人で来たがやねぇ。大変じゃなかったけ?」
「うわ」
急に背後から声がしたかと思えば、お婆ちゃんが麦茶を並々と注いだコップをテーブルに置くところが見えた。
「あ、有難う御座います」小さくお辞儀を見せてから、コップを手に取る。
結露したガラス製のコップはとても冷えていて、一口飲むと一気にコップの中身を飲み干す程に、美味しかった。
「ぷは」思わず満足気な声が漏れてしまう。
「良い飲みっぷりやねぇ、はい、ちょっと貸され」
コップを手渡すと、再び並々と麦茶を注がれて、「あ、有難う御座います」ともう一度礼を言う事に。
「お父さんは元気け?」屈託の無い、争い事とは無縁そうな表情で、お婆ちゃんが尋ねてきた。
「はい、元気です」そこは即答するけど、すぐに別の事を想起してしまう。「……でも、最近仕事ばかりで、もう少し休めばいいのに、って思いますけど」
「お父さんはマジメやからねぇ。昔っからそうやったちゃ。お母さんにいっつも振り回されとったがいね」
しみじみと語るお婆ちゃんの話に、思わず聞き入る。
「あの、父さんが再婚する話、聞いてます……?」
「うん、聞いとるよぉ」ゆっくりと首肯するお婆ちゃん。「それで、けいちゃんは、お父さんが再婚する前に、お母さんの事を聞いときたいがやろ?」
「あ、はい、そうなんです」居住まいを正し、お婆ちゃんを正視する。「母さんとの思い出って、何も無いから……話だけでも、聞きたいと思って……」
「一言で言えばきかん子!」ピッと人差し指を立てて顔を寄せるお婆ちゃん。「もーお父さん連れ回してやりたい放題やったちゃ。婆ちゃんの手に負えん悪ガキやったがよ!」
悪ガキ。その情報は、初めて聞くファクターだった。
母さんは、病気で亡くなったと聞いている。それも不治の病とか、癌とか、治療が困難な珍しい病気とかではなく、ただの風邪で。
父さんも、母さんに就いて「母さんは元々病弱だったんだ」と言っていたが、そのイメージとどうにも結びつかない。
「でも母さん、風邪で亡くなったんですよね……?」
お婆ちゃんの話が納得できず、思わず口を差し挟んでしまう。
するとお婆ちゃんは「そんなが!」と膝を叩いて勢い込んだ。
「お母さんね、体弱いがにすぅぐ無茶すんがよ。ほんですぅぐ倒れてね、お父さんによぉっく看病されとったちゃ。元気になったらまたすぐ飛んで行くがやけど、そしたらまぁたすぐ倒れっから、ほんとに、大変やったがやぜ」
昔を懐かしんでいるのだろう、お婆ちゃんは楽しげに笑っていた。
もう一度写真に視線を向けると、……確かにそんなイメージがする人だな、って思えた。やんちゃな男の子、って印象が先に立つ、笑顔が素敵な人。
巧くイメージできないけれど、何故だかカッコいいな、って思ってしまった。

◇◆◇◆◇

かち、こち、かち、こち、……と、規則的な音が鳴る世界。
薄闇に閉ざされた世界で、僕はぼんやりと瞼を開ける。頭が不明瞭で、何をしていたのか咄嗟には思い出せなかった。
「ここ……どこ……?」
起き上がると、タオルケットがずれて落ちた。見た事の無い焦げ茶色のタオルケット。それに、普段は嗅がないような、お香の匂いがする。
一見してここが自宅のアパートではない事を悟ると、一瞬ゾワリと恐怖が湧き立った後に、徐々にここがどこなのか判ってきた。
「……寝ちゃったのか……」
お婆ちゃんが話す母さんの逸話を聞いている内にウトウトしてきて、いつの間にか眠りに落ちてしまったようだ。近くに時計が無いので時間の確認のしようが無かったが、外の明度からして、既に夜半に入ってる事は確信できる。
モソモソと起き上がり、大きくアクビをして、喉の渇きを癒したくなってリュックを探す。薄闇とは言え、戸の先に庭が広がっている事も有り、外の月明かりが煌々と差し込んでいて、リュックの探索は然程難航しなかった。
「……?」
やがてリュックに辿り着き、だいぶ軽くなった水筒を手にして口に付けようとした時だ。庭の方から何かの気配を感じた。がさがさ、と草叢を掻き分けるような音。
お婆ちゃんが外にいるのかな? と思って暫く動きを止めていたが、どうにもそんな感じじゃない。ペタペタと、裸足で廊下に上がってくる音が続く。
もしかして――――お化け?
思わず身構えて息を止めてしまう。月明かりを浴びた戸には、確かに人影が映っていた。小さな、子供の姿が。
どっどっどっどっ、と心臓が早鐘を打ち、頭の中が綺麗サッパリ色を失っていく。誰だろう? 本当にお化けなのか?
「私はお化けじゃないわ。そんなに怖がらなくていいわよ」
影が、ハッキリとした声で、そう告げた。
テレヴィ番組やアニメ、ゲームで見るような幽霊とは違う、とても人間染みた声。僕は盛大に息を吐き散らして、障子戸に歩み寄る。その時、はたと気づく。僕今、お化けなんて、口にしたか――?
「したじゃない。心の中で、だけど」
障子戸が開き、月光を浴びて立つ少女の姿を、僕の両目に映り込ませた。
長い黒髪をリボンで二つに結い、ツインテールと言う髪型を作っている。幼い顔立ちをしてるけれど、僕よりも何歳か年上……きっと中学生くらいの女の子だ。身長も僕よりちょっと高くて、お姉さん、ってイメージがしっくりくる。黒いセーラー服姿だけれど、部活にでも行ってたのかな? ……こんな夜遅くまで?
思わず見蕩れてしまう程に可愛い女の子だったけれど、見蕩れる直前に吐かれた台詞を思い出し、怪訝な視線を向けてしまう。
「……心の中を、読めるの……?」
「そ」簡潔に応じる女の子。「驚いた?」
……驚いた、と心の中で思ったけど、それも既に伝わってると思うと、何とも言えない気持ちになった。
「驚くって言うより、恥ずかしいかも」ばつが悪くてこめかみを掻きながら応じる。
「そう? 君、変わってるわね」
……変わってる? 普通恥ずかしいとは思わないのだろうか。
「“普通は”、気味悪がると思うけど?」
強調するように告げる女の子。……うーん、心の中が読まれるなんて初体験だけど、気味が悪いと言うより、やっぱり恥ずかしいかなぁ。
「もしかして、ここのウチの子?」
「違うわ。遊びに来ただけよ」そう言って女の子はトテトテと廊下を歩いて行く。
「遊びに来た? 誰と?」思わず追い駆けてしまう。
廊下は月明かりを帯びて青白く霞んでいた。今にも幽霊が出そうな気配……ではなく、もっと神秘的な雰囲気を醸し出している。霊は霊でも、山の精霊が現れそうな、そんな雰囲気。
女の子は勝手知ったるなんとやら、ズンズンと廊下を突き進み、やがて或る部屋の前で止まった。障子が閉め切られ、中からクーラーの駆動音が聞こえてくる。お香の匂いが微かに漂ってきて、思わず鼻をひくつかせてしまう。
「……えぇと、君。名前は?」女の子が振り返って、淡泊に訊いてきた。
「僕? 僕は六道恵太。そういう君は?」
「私はリョウコ。キダリョウコ。“希望の田んぼ”で希田《きだ》。“涼しい子”で涼子《りょうこ》よ」
「変わった苗字だね」未だかつて聞いた事の無い苗字だった。読みだけなら有り触れてるのに。
「嘘は吐《つ》けないの」
そう言って意地悪な笑みを浮かべる涼子さん。嘘は吐けない……? 何故今そんな事を言ったのか、僕にはその時理解が及ばなかった。
「あ、僕の六道は……」
「“六つの道”、でしょ? ケイタは知らないけど」
素気無く告げられ、思わず苦笑が出てしまう。「恵太は、“恵まれるに太い”だよ」
「そ」興味無さそうに応じると、涼子さんは僕を見据えて値踏みするように眉根を寄せた。「恵太君。君、約束は守れるタイプ?」
「……守れるタイプだと、思う」ちょっと確信を持って言えなかった。
「そんな気がしてたわ。……そうね、だったら止めておくわ」そう言ってまた廊下を歩きだそうとする涼子さん。
「え、ちょ、何っ? ってどこに行くのっ?」
追い駆けて行くと、やがて明るくなっている部屋に辿り着いた。障子戸を容赦無く開け放ち、中で仏壇の蝋燭に火を移していたお婆ちゃんと鉢合わせになる。
お婆ちゃんは驚きに目を瞠って暫く無言で涼子さんを見つめていたが、やがて何かに納得したのか、「あら、いらっしゃい涼子ちゃん」優しさが滲み出てる微笑で迎えるお婆ちゃん。
「こんばんは。見掛けない子がいたから声を掛けたけど、彼は何?」こちらに視線すら向けずに告げる涼子さん。
「お婆ちゃんの可愛い孫なが」こちらに視線を向けて、改めて涼子さんに視線を向け直すお婆ちゃん。「この子は涼子ちゃん。ウチに偶に遊びに来とる子ながやけど、宜しくしてあげてね、けいちゃん」
「う、うん」正直宜しくできるかちょっと不安だけど。「宜しくね」
「不安なら約束しなければいいのに」
「う……」心が読める事を失念していた……。
「けいちゃん起きたがやったら、ちょっと遅なったけど、これから夕飯にしよまいけ。今準備してくっちゃねぇ、ちょっと待っとられぇ」
そう言って重い腰を持ち上げて立ち上がるお婆ちゃんが、涼子さんに視線を転じる。涼子さんは涼しげな表情を浮かべたまま、「えぇ、私もご馳走になるわ」と髪を掻き上げて告げた。
初めて異性の子と夕飯を一緒に摂るのだと思うと、ちょっとだけ胸が高鳴った。
「そんな事で一々興奮しないで欲しいものね」
……撤回。心を読む子と夕飯を一緒に摂るのは、ちょっとドキドキだ。

【後書】
この作品も初出がもう5年も昔になるんですね。とみちゃんに「夏と言えばこれ!」と言われる物語でして、わたくし自身も「夏と言えばこれ!」と言える代表作が、この「霊夏」と自負しております(^ω^)
元々この作品は、わたくしなりに「幽霊は怖くない」と言う印象を少しでも皆様に植えつけたくて…こほん、知って頂きたくて綴り始めたんですよね。今月から始まる「ベルの狩猟日記」の5章も近しい理由の話でしたが、この「霊夏」はもっとそのイメージを特化した物語になります。
わたくしが本当にホラー系がダメダメでして、その理由が「怖いから」でしたから、「だったら怖くない幽霊は大丈夫なのでは??」と思い始めたのが、確か当時の話だったと思います。
さてさて、今週から「霊夏」も毎週木曜配信を始めますので、夏の間、のんびりとお付き合い頂けますように! それでは次回もお楽しみに~♪

2 件のコメント:

  1. 更新お疲れ様ですvv

    そしてありがとうございます!

    5年もたってるんですねぇw
    夏というかお盆の時期になると思い出していたりするので
    そんなに時間が過ぎているという感覚がありませんでしたw

    4年生のけいちゃんかわいい!
    なんか勢いでネタバレまでいっちゃいそうなので自粛しますw
    のんびり更新楽しみにしながら、けいちゃんの成長を見守りますよv

    これはきれいなおりやさんです!

    今回も楽しませて頂きましたー
    次回も楽しみにしてますよーvv

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    返信
    1. 感想有り難う御座います~!

      いえいえ~! こちらこそ改めてお付き合い頂きましてありがとうございますですよ~!!

      もう5年も経ってましたよ~!w
      (*´σー`)エヘヘ お盆の時期になる度に思い出して頂けるとか、作者冥利に尽きるってもんですw
      併しわたくしも同感でして、もうそんなに時間が過ぎている事が俄かには信じられない奴です…w

      短編なのでね!w たぶんちょっとした事でもネタバレになっちゃいますよね!ww
      ぜひぜひ! のんびりお楽しみ頂けると幸いです~♪

      きれいなおりや!w 全く否定できないんだぜ!ww

      今回もお楽しみ頂けたようで嬉しいです~!!
      次回もぜひぜひお楽しみに~♪

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