2018年8月16日木曜日

【霊夏】3.【オリジナル小説】

■あらすじ
父が再婚すると言ったのを機に、自分を産んで一年後に亡くなった母の故郷を訪れた少年は、謎の少女と不思議なお盆を過ごす事になる……ほのぼの系現代ファンタジーの短編です。
※注意※2013/08/16に掲載された文章の再掲です。新規で後書を追加しております。

▼この作品はBlog【逆断の牢】、【カクヨム】、【小説家になろう】、【ハーメルン】、【Pixiv】、【風雅の戯賊領】の六ヶ所で多重投稿されております。

■キーワード
現代 幽霊 盆踊り ほのぼの ライトノベル 男主人公

■第3話

小説家になろう■https://ncode.syosetu.com/n2253bt/
カクヨム■https://kakuyomu.jp/works/1177354054881698055
Pixiv■https://www.pixiv.net/series.php?id=766662
ハーメルン■https://syosetu.org/novel/74118/

3.


 櫓の上で太鼓を打ち鳴らす筋骨逞しいおじさんも、その下でグルリと円を描くように集まる子供達も、それを遠巻きに見守っている青年達も、その近くで尺八や三味線で演奏しているお爺さん達も、皆着物を左前にして纏っている。
 お盆って、確か先祖の霊があの世からやって来て、それを供養して、最終日にまたあの世に帰って貰う、って言う行事の筈。その期間に踊る盆踊りは、地獄での痛苦を免れた死者達が、喜んで踊る様子を模したものであって、死者にも楽しんで貰おうとか、そういう意味合いは無かった気がする。
 でも東狐寺の前に広がる景色は、そんな雰囲気とはちょっと違う。生者も死者も同じ恰好をして、仲間外れになんてさせないって雰囲気で、皆笑顔を浮かべて踊っている。賑やかな音色と共に、皆熱に浮かされたように盆踊りに興じている。
「あれ、涼子じゃん。お前また来てたのか」
 盆踊りを眺めながら、楽しそうだなーと林檎飴を舐めていると、不意に声が掛かった。とても若い声……僕よりも年下に聞こえる、やんちゃな声。
 涼子さんの方に視線を向けると、木陰に座り込んでいる僕の目線と同じ位の背の子が立っていた。顔に狐のお面を被っているのと、体つきがあまりに幼いのと、白い着物を纏っている事、更に声も中性的過ぎて、性別が判然としない子。
 年齢は判らないが、まだ小学校にも通ってなさそうな、小さく華奢な子だった。
「来たらいけないかしら?」刺すような勢いで言葉を吐き出す涼子さん。
「そいつは誰だ?」僕を指差して尋ねる狐面の子。
「私の友達」素っ気無く即答する涼子さん。
「お前友達なんかいたのか!?」驚きを声で表す狐面の子。「信じられねえ……」
 ……それは涼子さんにあまりにも失礼じゃないか?
「えぇと、涼子さん。その子は?」
 狐面の子を示して尋ねると、涼子さんではなく本人が「俺か?」と胸を張った。
「俺はコウタ。キヨジコウタ。忘れるなよ、焼きつけとけ」念を押すように指差してくる狐面の子――コウタ君。「お前は?」
「僕は恵太。六道恵太。宜しく、コウタ君」と言って手を差し伸べる。
 コウタ君は僕の手を掴むと、「宜しくな! ケイタ!」と弾けるような声を上げた。
「ん? リクドウって言うと、あの婆ちゃんの子供か?」小首を傾げるコウタ君。
「六道さんのお孫さんだそうよ」補足するように口を開く涼子さん。「子供じゃなくて、孫、よ」
「うっせぇな、それぐらい判るっての!」狐面を付けていても判る、今コウタ君が膨れっ面をしてる事ぐらい。「ケイタ、もしかして東狐寺の盆踊りは初めてかっ?」
「うん、初めてだね」コックリと首肯する。
「じゃあ俺が教えてやるよ! いいか、東狐寺の盆踊りは夜通し踊り続けるんだ! 人が入れ代わり立ち代わり、一日中踊り続けるんだぜ!」
「それは……凄いね」
 夜通し踊り続けるなんて、そもそも体力が持つのだろうか? それに大人は仕事の都合とか、どう折り合いを付けるんだろう?
 確かに演奏をしている人達は年配が多いように感じられる。七十代と言われても納得できそうな老爺が殆どだ。それでも中には三十代や四十代と思しき男性や女性の姿も見受けられる。
 それに、こう言っては何だけど、今時の子供が、夜通し盆踊りをすると言うのは、些か難しいんじゃないかって思う。斯く言う僕だって、そういう事をする暇が有るのならゲームとか読書とかしたいと思うし。
 夏休みも中盤戦から終盤戦へとシフトする時期である、「夏休みの友」と最終決戦を繰り広げたり、友達とギリギリまで遊び呆けたり、今しか出来ない事は山ほど有る筈なのだ。
「何も村民皆で踊る訳じゃないわ。踊りたい人が踊ってるだけ。演奏だって、深夜はラジカセに取って代わるし。尤も、そうは言っても踊ってる人は多いけどね」
 心の中をあっさりと読まれたけど、僕は「なるほど」と口に出していない事も忘れて首肯していた。
 当然と言えば当然の話だったし、中には奇特な人がいても不思議じゃない。そう思う事で、ひとまずは腑に落ちた。
「盆踊りは踊った事有るよな?」コウタ君が僕を見上げて尋ねてきた。「ちょっと踊ってこいよ。踊ってみたら意外と楽しいもんだぜ?」
「うーん、でも僕、体力に自信が……」「いいからいいから!」
 コウタ君に無理矢理押し込まれ、盆踊りの円の中に組み込まれてしまう。前後にいた中年のおばさんが、優しげな瞳で場所を開けてくれたので、「あ、有り難う御座います」と小さくお辞儀を返して、見様見真似で踊ってみる。
 賑やかだけれど、心が落ち着くような、胸に響く音色。まさか朝っぱらから盆踊りを体験できるなんて思ってなくて、ちょっとおかしな気分だった。
 一所懸命、って訳じゃない。皆、思い思いに腕を振り、盆踊りを楽しんでいる。
 よく見ると涼子さんも列に混ざっていたし、コウタ君の姿もすぐに見つかった。皆で円を描き、終わる事の無い踊りを楽しむ。死者の姿を模して、死者を招き入れて、死者と一緒に、盆踊りを踊る。
 ……こんな朝早くから死者が現れるとも思わなかったけれど、何だか心が満たされるような想いで、時間が経つのを忘れて踊り続けた。この中の何割が本物の死者なのかなとか、……母さんも楽しんでるのかなとか、そんな事を取り留めなく思いながら、踊り続ける。

◇◆◇◆◇

「お前のかーちゃん、六道小夜子って奴だろ? 俺も知ってるぜ」
 盆踊りはお昼を回っても続き、皆陽気な表情で楽しんでいる。
 その櫓から少し離れた木陰で、僕達はちょっと遅めのお昼ご飯を摂っていた。お婆ちゃんから渡されたお小遣いで、お好み焼きと焼きトウモロコシを買って、ゴミを落とさないようにプラスチックのケースの上でモソモソと食す。
 その時、僕が何気無く涼子さんに「僕の母さんの事、もしかして何か知ってたりする?」と口を滑らせたのだが、思わぬところから思わぬ声が聞けた。
 驚いて振り返ると、コウタ君が狐面をしたまま器用に焼きそばを食べている姿が映った。彼は割り箸を指揮者のように振って、得意気に告げる。
「東狐寺で知らねえ奴はいねえんじゃねえの? 俺達の世代ですら知ってんだからな」
「ど、どんな話を知ってるのっ?」思わず身を乗り出してしまう。
「曰く、相当な変人だったらしいぜ?」コウタ君が青海苔の付いた割り箸で僕を差した。「例えば……未来予知が出来たって話が有る」
「未来予知……?」いきなりファンタジーな話になって、意表を衝かれてしまう。
「何でもいつ雨が降るのかとか、どこに狐が現れるとか、ズバリ言い当てて皆を驚かせてたって話が、今でも東狐寺じゃ残ってんだよ」コウタ君は得意気に割り箸を振り続ける。「他にも幽体離脱が出来るとか、念動力が使えるとか、そういう話には事欠かない女だったらしいぜ?」
 ……信憑性の線で言えば、何かしらの尾鰭が付いている気がしてならないけれど、仮にもコウタ君の世代までその伝承が残っているのだ、それに近い出来事が無ければこうも息は続くまい。
 病弱だったかと思えば、悪戯っ子、悪ガキと称される問題児で、かと思えば今度は超能力者の話まで出てきて、益々母さん……六道小夜子と言う人物像があやふやになっていく。
 今までの情報を統合しても、全く想像できなかった。超能力が使える、病弱な、悪戯っ子。……うーん、どんな人だったんだろう……
「とにかくすげー奴だったって事は判るだろ?」コウタ君は再び焼きそばを食す行為に戻りながら、感嘆の声を漏らした。「それだって言うのに、フツーの奴と結婚したんだから、それもビックリだよな。俺には理解できねーな」
 ズゾゾゾと焼きそばを啜りながらうんうん頷くコウタ君を見やりながら、僕も漫然と思考を巡らせていた。
 コウタ君の話が全て事実だとして、母さんはどうして父さんと結婚したんだろう。そんな特殊な力を持っていたのなら、他にも色々な事をしていても不思議じゃないと思うし。
 そこでふと、気が付いた。もしかしてそんな特殊な力を有していたがために、短命だったのではないか、と。稀有な力を持つ人にはどうしてもそういうイメージを懐かざるを得ない。
 ……父さんは、どういう想いで母さんを見ていて、母さんと結婚したんだろう。そんな思考が鎌首を擡《もた》げてきたけど、結局結論は出なかった。
 迷走する母さんの人物像に、僕の思考回路は断線を起こし掛けていた。

◇◆◇◆◇

「そろそろ和子さんが畑から帰ってる筈よ」
 空が橙色に輝き始めた頃、涼子さんにそう言われたので、僕はコウタ君に別れを告げると、彼女と共に帰路に着いた。
 蝉時雨が降り注ぐ畦道を、涼子さんと手を繋いで歩く。初めは恥ずかしいと感じたけれど、今はそうするのが自然に思えて、違和感は疾っくに消失していた。
「お母さんの事、幻滅した?」
 帰り道をのんびりと歩きながら、涼子さんが不意に呟いたのが、夕暮れに溶けるようにして僕の耳に届いた。
 幻滅……それはつまり、特殊な力を有している事に恐怖を懐いたのか? とか、そう言う意味合いなんだろう。
 僕は小さく首を横に振る。そもそも幻滅するまでも無く、僕の頭の中に幻はいない。今やっと、母さんの外殻とでも言うべき、幻の一端が組み上がったところなのだ。幻滅するとしたら、この先に待っている、と言える。
「あの真面目な父さんが今でも……いや、今はどうか分からないけど、それでも今までずっと、欠かさずに愛していられる程に魅力的な人だったんだから、これ位の要素もきっと、愛嬌に含まれるんだろうな、とは思うけど」
 再婚する、と言う話を聞いた時に小さくない衝撃を受けたのは事実だ。毎日欠かさず仏壇の前に座り、母さんと心で語り合っていたであろう父さんからの申し出である、どういう心境でその境地に至ったのか、今更だけど聞いておけば良かったな。
 涼子さんは何も言わなかったけれど、僕はその事に就いて口にはせず、父さんに言った言葉を、改めて口にする。
「もし新しい母さんが来ても、前の母さんを大切にしてくれるなら、僕は構わないんだ。だから僕が今やってる事って、前の母さんを、僕の思い出として、残しておきたいなって、そう思ってやってるだけなんだよ」
 新しい母さんがどんな素敵な人なのか、それとも悪い人なのか、それは判らない。でも、僕を産んでくれた大切な人を蔑ろにするような人とは、父さんが幾ら好きになったからと言っても、多分僕は仲良く付き合えないと思う。
 もしそうなった時、父さんが前の母さんの事を過去にしちゃっても、僕一人だけでも前の母さんの事を思い出せれば、母さんはきっと悲しまないんじゃないかって、そんな気がしたんだ。
「……そ」
 いつものように素っ気無い返事だったけれど、何故だか涼子さんから嬉しげな気持ちを感じた。
 僕もそれが何だか嬉しくて、「うん」と短く答える。
 蝉時雨の畦道はどこまでも続いているような、そんな気がした。

◇◆◇◆◇

「お帰り、けいちゃん、涼子ちゃん」
「ただいまです」「ただいま」
 お婆ちゃん家に帰ってくると、当然のように涼子さんが帰宅宣言を言った。
 涼子さんを見据えて疑念を沸々と湧かせていると、彼女は「どうしたの?」と不思議そうに僕を見つめ返してきた。
「涼子さんって、ここの家の子じゃ……」「無いわよ?」「じゃあ何でただいまって……?」
 涼子さんと僕の間に不自然な沈黙が蟠った。
「お邪魔します」と言って玄関を上がって行く涼子さん。
「今更!?」思わずツッコミを入れてしまう。
「ちょっと間違えただけよ」そっぽを向く涼子さん。
「……」涼子さんをジッと見つめる。
「間違えただけ」ギラリと睨み返す涼子さん。
「ほ、ほんとに……?」何とか食い下がる。
「本当よ」
 ……何とも信じ難い話だけれど、取り敢えず今はそう思っておく事にしよう。
「本当よ」
 何も心の中を読んでまで言わなくても……

◇◆◇◆◇

「――コウタ君に逢ったがけ? あの子もきかん子やったろ?」
「きかん子……? まぁ何かその、元気な子でしたね」
 夕食までの時間、居間に三人揃って他愛の無い話に興じていた。
「母さんって、何て言うか、変わった子だったんですね」
 ふと先刻のコウタ君の話を思い出し、そんな風に話を切り出してみる。お婆ちゃんは「そうながよ」とうんうんと力を込めて頷く。
「お婆ちゃん、もう何回も学校に呼ばれたが! あなたの娘さん、元気が有り余っとるけど、どういう教育しとるがですか!? ってよう言われたちゃ。もうお婆ちゃん恥ずかしくって恥ずかしくって……」
 その状況を今でも克明に思い出せるのだろう、お婆ちゃんは頬を赤く染めてケタケタ笑い始めた。僕も釣られて笑ってしまう。
「あとお母さんね、よう嘘も吐くがよ、それもしょーもない嘘を!」お婆ちゃんが笑いながら続ける。「ようまぁそんな嘘思いつくわ、って。毎ッ回騙されとったわ」
「嘘を吐く」
 その事実だけを反復し、僕はそれも納得せざるを得ないかな、って思った。特殊な力を有している女の子が嘘を吐くのは、自然な流れに感じる。それこそ力を隠すためであったり、或いは自分の仕業ではないと隠蔽するために。
 でも何故だろう。その「嘘を吐く」と言う言葉そのものに、僕は妙な引っ掛かりを覚えたのだった。

◇◆◇◆◇

 やがて夕飯を終え、お婆ちゃんが片づけを始めたのを見計らって、僕は思い出したようにリュックサックの中から「夏休みの友」と言う名の仇敵を取り出す。
「宿題?」と涼子さんが隣に座って、尋ねてきた。
「うん。少しでも進めておこうと思って」筆箱を取り出し、シャーペンを抜き出す。テキストを開き、英語のページで折り目を付ける。
「あら? 恵太君って小学生よね?」不思議そうに呟く涼子さん。
「うん。四年生だよ」コックリ頷く。「どうかしたの?」
「小学生なのに、英語の勉強してるの?」
「うん。と言っても、英語じゃなくてローマ字の勉強みたいなものだけど」
“ローマ字で自分の名前を書いてみよう!”と記された下の空欄には、横線が引っ張ってあるだけ。自分の名前だから、“RIKUDOU KEITA”になる。
 その下には“リンゴをローマ字で書いてみよう!”とか、“バナナをローマ字で書いてみよう!”とか、僕個人の意見を言わせて貰えば、こんなの英語じゃない、ぐらいには知識が有る。
 リンゴは英語だとアップルになるぐらいは判る。ただ綴りが判らないだけ。ローマ字は一通り書けるけど、それを英語として書き記すには、まだ勉強が足りていなかった。
「ふぅん、そうなんだ」問題を解きながらシャーペンを走らせている僕の姿を、感心したような溜息を吐いて眺める涼子さん。「……簡単そうね?」
「簡単だよ。だって単語をローマ字に変えるだけだもん」涼子さんを見ずに、黙々と宿題を終わらせていく。
「じゃあここで問題。私の名前をローマ字で書いてみなさい」
「いいよ」
 その程度の問題なら、楽勝だった。と言っても宿題の空欄に書くのも何だったから、リュックサックの中に入れていたメモ帳を引っ張り出して、そこに手早く“KIDA RYOUKO”と書き記す。
「合ってる?」
「正解。嘘は吐かないものね」と微笑む涼子さん。
「……ローマ字は嘘を吐かないよ」よく判らないなりに返答を口にする。
「じゃあお父さんの名前は書けるかしら?」
「うん、書けるよ」そう言いながら、サラサラと“RIKUDOU SOUSUKE”と記す。「どう?」
「正解。流石ね」感心したように何度も首肯する涼子さん。「じゃあ、お母さんの名前は?」
 返事を口にするまでも無く、サラリと“RIKUDOU SAYOKO”と記す。「母さんの名前、小夜子、だったよね?」
「うん、正解」ニッコリ笑顔で応じる涼子さん。「お母さんは嘘を吐くものね」
 ……確かにお母さんは嘘を吐くらしいけど、今言う必要有ったか……?
 そんな事を考えながら、「あ、そうだ。涼子さん、判らない問題が有ったら訊いてもいい?」と尋ねると、涼子さんは「いいわよ。私に判る範囲でなら、ね」と意味深な態度で返された。

◇◆◇◆◇

 結局お風呂が沸くまで難しい問題にぶつかる事も無く、着々とページを埋める事が出来た僕は、お婆ちゃんに言われてお風呂に入る事になった。
「今日こそ一緒に入りましょ?」
 何故か、涼子さんと。
 脱衣所で服を脱ぎながらドギマギしてると、涼子さんは「そんなにドキドキされたら、こっちも恥ずかしくなってくるわ」服を全て脱ぎ、タオルを巻いて僕を見やる。
「そ、そんな事言われたってっ、僕、父さんとしかお風呂入った事が無くて、その……」服を脱ぐ事すら躊躇して手が止まってしまっていた。
「男の子なんだから、泣き言言わないの。ほら、早く脱いで脱いで」そう言って僕の服を脱がしに掛かる涼子さん。
「ちょっ、えぇッ!? 涼子さんは女の子なのに男勝り過ぎるよッ!!」
 結局服を全部剥かれてしまい、狭い浴場で頭を洗われる。ガシガシと、父さんよりも尚強い力で頭を掻き洗っていく。でもそれがちょっぴり気持ち良くて、シャンプーが目に入らないように目を瞑ったまま、小さく吐息が漏れてしまう。
「痒いところは無いかしら?」ガリガリと頭を洗いながら尋ねてくる涼子さん。
「もう粗方掻き終えた後に言われても……」もうどこも痒くないどころか、ちょっと痛みを感じる程だ。「もう痒いところは無いよ」
「そ」簡素に応じ、手を止める涼子さん。「じゃあ口を閉じて。流すわよ」
 流すってどういう事だろう――と思ってたら、シャワーではなく、スコールのようなお湯の塊が降ってきた。それも一度だけでなく、二度も三度も。
「もういいわよ」と涼子さんが呟いたと思った瞬間、顔にタオルが当てられる。それを掴んで顔を撫でると、仄かにいい香りが鼻腔を衝いた。
「有り難う、涼子さん」湯船に浸かりながら、礼を言う。
 涼子さんがその言葉に反応する事は無く、一緒に小さな湯船に浸かりながら、どこか遠いところを見つめているように見えた。
「新しいお母さんが来たら、こんな風に一緒にお風呂に入る事も有るのかしらね」
 こちらを見る事も無く、どこか投げやりに応じる涼子さんに、僕はちょっと考えて、すぐに苦笑を浮かべた。
「一緒に入る事は無いんじゃないかな、僕もう四年生だよ? 流石に恥ずかしいよ」
 本当は涼子さんと入るのも、相当恥ずかしいんだけどね、とは付け足さない。付け足さなくても、聞かれてると判っていても、口には出さなかった。
「そ」クスリ、と涼子さんの口唇に小さな笑みが点った気がした。「おませさんなのね、恵太君って」
「涼子さんが気にしなさ過ぎなだけだと思うけど……」
「……良いお母さんが来るといいわね」
 そう言う涼子さんの表情はどこか寂しげで、ちょっと切なくなるような響きを伴っていた。
「うん……」
 だから僕は、その言葉には全面的に肯定だったんだけど、返答に戸惑った。
「さ、早く上がりましょう。恵太君がのぼせる前に」
 そう言って意地悪な微笑を見せる涼子さんは、いつもの涼子さんで、僕は若干の気後れを感じながらも、「うん」と、了承を返すのだった。

◇◆◇◆◇

 ちょっと前から感じていた違和。
 涼子さんとは何者なのか。
 どうしてお婆ちゃんの家に自然な形で宿泊しているのか。ご飯を一緒に食べるし、お風呂も一緒。寝る時も、多分昨日は一緒だったんだろう。だけど、お婆ちゃんは何も言わないし、涼子さんはここを自分の家だと言うと否定する。
 ――嘘は吐けないの。
「……どういう意味なんだろう」
 夏虫が楽しげな演奏会を催している庭を眺めながら、取り留めの無い事を考える。今、隣に涼子さんはいない。トイレに行ったのだ。
 代わりに今僕の隣にはスイカが鎮座している。お婆ちゃんが切ってくれたものだ。綺麗に八等分されたそれを手に持ち、ぼんやりしていた。
 東狐寺からお婆ちゃん家は相当離れてる筈なのに、今も盆踊りの賑やかな音色が微かに聞こえてくる。本当に夜通し踊り続けるのだとしたら、ちょっと見てみたい気もしてきていた。
 結局別れるその時まで素顔を見せなかったコウタ君もそうだ。この村に来てから、ちょっと不思議な存在に出くわし過ぎだ。その全部に意味が有って、全てが一本の線で繋がっている……なんて事は無いだろうけど、僕の知的好奇心が欲求不満を訴えているのは、如何ともし難い。
 スイカを盆に戻して、その場に寝転がる。夏虫の合唱と、盆踊りの音色。聞こえる音がとても遠くて、空は一面の星空を覗かせている。田舎だなぁ、と、改めて思わせられる。
「……ん?」
 ぼんやりと寝転がっていると、不意に呼び鈴が鳴った。ポーン、と間の抜けた音が僕の耳朶を打つ。こんな時間にお客さん……? と訝しげに思うも、きっとお婆ちゃんが出るだろうと、気にせずにぼんやりしてたけど、再びポーン、と音が鳴って、思わず起き上がってしまう。
 深……と静まり返っている屋敷。夏虫の懸命な求愛の声だけが虚しく響く、静寂が蟠る世界。まるで誰もいないんじゃないかって悪寒が湧き上がって、ちょっと胸の底に緊張感が溜まり始めた。
 三度目の音声にも反応が無い事を機に、僕は慌てて玄関まで走った。流石に誰も出ないのは不味いと思って、玄関に辿り着く。電灯が落ちた玄関は真っ暗だった。僕は慌てて「はーい!」と声を上げて施錠されていない戸を開ける。
「夜遅くにごめんねぇ、お婆ちゃんおる?」
 玄関先にいたのは見知らぬおばさんだった。歳にして五十代くらいの、キビキビした印象の女性。僕はテンパりながらも、「えぇと、いますけど、ちょっと今は出られないみたいです」と屋敷の奥を見やって応じる。「呼んできましょうか?」
「なーん、いいちゃいいちゃ、おるがやったらいいちゃ」微笑を浮かべて手を振るおばさん。「最近畑でも見んし、盆踊りにも来とらんかったから、どうしたがかなって思ったが。元気ならいいがよ。……もしかして、恵太君け?」
「僕の事知ってるんですか?」いきなり名前を言い当てられてビックリしてしまう。
「あぁ、やっぱりけぇ。お婆ちゃんから聞かされとったがよ、可愛い孫が盆に遊びに来るがよって。そうけぇそうけぇ、じゃあお婆ちゃんに枕木《まくらぎ》の婆ちゃんが元気け? って言っとったよって伝えといてくれん?」
「あ、はい、判りました」小さく首肯を返す。
「ほんなら、またね、恵太君」
 そう言っておばさん……枕木さんは笑顔を浮かべて去って行った。
 ……畑でも見ない? 今日は確か、昼間から畑に行ってるって聞いたんだけど……どういう事なんだろう?
 不思議に思いながら玄関の電灯を消し、昨日お布団を敷いた部屋に戻ってくる、その途中で心臓に悪い音が弾けた。お婆ちゃん家の黒電話が鳴っている。併も、僕が通り過ぎようとした瞬間に、だ。
 跳ね上がる鼓動を宥めようと深呼吸した後、お婆ちゃんも涼子さんも現れない事を訝しげに思いながらも、鳴り続ける電話が切れそうも無いので、仕方なく出る。
「も、もしもし……?」
「お、その声は恵太か。父さんだよ」
 落ち着いた父さんの声を聞いて、盛大に安堵の吐息を落としてしまう。
「どうした?」不思議そうな父さんの声。「何か遭ったのかい?」
「ううん、何にも」気を取り直して受話器を握り直す。「父さんこそどうしたの?」
「昨日言っただろう? 電話するって」苦笑を浮かべている様子が見なくても判る父さんの声。「明後日迎えに行く時に、一緒に新しい母さんを連れて行こうと思うんだけど、恵太は大丈夫かい?」
 新しい母さん。再婚するって言ったのはついこないだなのに、もう顔合わせするのか。いや、こういうのは早い方が良いのかも知れないけど、正直まだ心の準備が全然出来てなかった。
 前の母さんの事に就いてもっと知りたい、もっと思い出をたくさん増やしたいって想いも有ったし、何より前の母さんの生家に新しい母さんを連れてくるのって、おかしな話だとも思ったんだ。
 そんな想いがモヤモヤと胸中に暗雲を垂れ込ませていると、父さんはそんな僕の心境に気付いたのだろう、ちょっと声のトーンを落として続けた。
「お婆ちゃんの了承は得てるし、新しい母さんも、お婆ちゃんに挨拶したいって言ってるんだ。本来ならするべきではないのかも知れないけど、前の母さんの家族とも、仲良く付き合っていきたいんだ」
 父さんの言いたい事はよく判るし、新しい母さんの姿勢も好感が持てた。だけど、それだけに、今僕は戸惑いを隠せなかった。まるでそれは……前の母さんが塗り潰されていくような、そんな悪意無き悪意を感じてしまったのだ。
 僕が困り果てて沈黙を貫いていると、不意に肩を叩かれて心臓が跳ね上がった。ブルリと体を震わせて振り返ると、涼子さんが静かな表情で僕を見据えていた。
「逢ってあげなさい」ポツリと、涼子さんの口が動いた。「その方が、絶対良いわ」
 涼子さんと見つめ合い、暫し言葉を失う。どうして関係の無い涼子さんが断言できるのか。どうして電話の声が聞こえない筈なのにそんな事が言えるのか……いや、これは僕の心を読んだからか。
 でも何故だろう。涼子さんにバッサリと宣言されると、心の中のくすんだ靄が霧散していく気がした。完全にモヤモヤが晴れた訳じゃないけれど、その霞んだ視野に一本の道が指し示されたようで、僕は小さく首肯を返す事が出来た。
 受話器を握り直し、僕は告げる。
「判った。新しい母さんを、連れて来て」
 その後、父さんの安堵した声が返ってきて、僕も落ち着いて応対できた。背後を見やると、涼子さんが穏やかな表情で僕を見守っている姿が映る。彼女が何者なのか、僕の中に宿る違和が、一つの仮説に辿り着こうとしていた。

【後書】
 この物語の謎解き要素は、わたくしなりに一所懸命考えたモノなのですけれど、今読み返して思うのは、これあれですね、児童文学とかで有りそうなネタですね!w
 念のためネタバレはしない方向で話を進めますが、このちょっぴりホラー感の有る展開、田舎のお婆ちゃん家、と言うイメージに属する要素だとわたくしは思っている次第でして。純和風のホラーって、得てしてこういう日常系の中から生じるものだと思っておりますゆえ…!
 さてさて、次回でもうクライマックス直前のお盆のお話ですが、次回の話はたぶんわたくし自身、読み返すと涙腺がやられる奴だと憶えておりますので、そういう意味でも楽しみにお待ちくださればw ではでは!

2 件のコメント:

  1. 更新お疲れ様ですvv

    盛り上がってまいりました!
    心臓が跳ね上がるような展開に((((;゚Д゚))))ガクガクブルブルw
    でも、どこかふわふわした感じなのは涼子さんの仕業なのか?w

    ネタバレしそうで怖いのでこの辺でw

    今回も楽しませて頂きましたー
    次回も楽しみにしてますよーvv

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    1. 感想有り難う御座います~!

      盛り上がって参りましたぞ~!┗(^ω^)┛
      和風ホラー感の影響でしょうか…!w わたくしも不覚にもドキドキが止まらなく…!(自演感)
      涼子さんのお陰であれば幸いです…!w 彼女の存在感が活きてくれてヨカターw

      わたくしもどこまで語ろうか悩ましいのがアレですww

      今回もお楽しみ頂けたようで嬉しいです~!!
      次回もぜひぜひお楽しみに~♪

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