2019年4月25日木曜日

【春の雪】第14話 一非の負け【オリジナル小説】

■あらすじ
春先まで融けなかった雪のように、それは奇しくも儚く消えゆく物語。けれども何も無くなったその後に、気高き可憐な花が咲き誇る―――
※注意※2009/01/20に掲載された文章の再掲です。タイトルと本文は修正して、新規で後書を追加しております。

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青春 恋愛 ファンタジー ライトノベル


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■第14話

第14話 一非の負け


 朝に訪れた一非君の部屋の前に立って、……心臓が喧しい位に踊っているのを感じた。
 ……もう、これで最後になる。
 それだけで、わたしの心は雁字搦めに縛られ、あらゆる動きを封じ込められてしまう。
 たった一枚の扉。この先に一非君がいると思うだけで胸は早鐘を打ち、どうしようもない焦燥に駆られてしまう。
 泣きたかった。泣いて、全てを戻してしまいたかった。あの頃に、一非君が笑ってわたしと遊んでいた、過去の世界に。
 ……こんな事をいつまでもウジウジ言ってると、一非君に呆れられちゃうね。
 ふと、何の拍子も無く吹っ切れて、わたしは扉をノックしていた。控えめに、二回。
「開いてるぜ?」
 一非君の、声。
 ずっと聞きたかった、待ち遠しかった、愛しい人の、――声。
 その場で喚きそうになるのを必死に抑えて、わたしは静かに扉を押し開けた。
 ――時が止まったような錯覚を感じた。
 一非君がいる。たったそれだけの光景。なのに、もうこれ以上のものは無いと言う自信さえ湧く、そのスクリーンに、わたしは眼を奪われていた。
 ベッドの上に上半身を起こした状態で、一非君は奥に在る窓の外を見やっていた。夜にも拘らず窓硝子が開け放たれ、真夏にも拘らずどこか涼しげな風が彼の短い髪を攫っていた。
「……空冴か? さっきの客、誰だったんだよ?」
 問いながらも、一非君の視線はずっと窓の外に注がれていた。わたしを星織君と勘違いしているらしい。
「……一非、くん」
「!」
 びく、と、弾かれるように跳ねる一非君の反応に、わたしは少しだけ苦笑を滲ませながらも、返答を待った。
「……咲結、か……?」
 震えた声。……ううん、それは寧ろ、――怯えた声、と形容しても差し支えないような、か細い声だった。
 わたしは言い知れぬ感覚を覚えつつも、ゆっくりと部屋の中へと歩み入る。
「……お話を、しに来ました」
『最後の』とは敢えて付け加えなかった。その一言が怖くて、どうしても口に出せなかった。
 だけど、一非君は振り向きもせず、
「……何の、話だ」
「っ、……星織君から、聞きました」
「!」
「一非君、わたしと別れないと苦しいんです、よね……」
 ぐ、と涙を堪える。今泣いたら、絶対にダメだ、って強く言い聞かせる。
 今泣いたら、一非君と嫌な気持ちで別れる事になる。そんなの、絶対に嫌だ。
 ……別れる方が、何万倍も嫌だけど。
「わたし、やっぱりご迷惑でしたか……? 一非君の、負担にしかなりませんでしたか……? ……って、こんな事、聞いちゃダメですよね……。……星織君には、自分から別れ話を切り出すように言われましたけど、……やっぱり出来ません」
 自分で言ってて、涙で詰まりそうになりながらも、わたしは言葉を紡ぎ続けた。
「諦められないんです、一非君を。……わたしが重荷なら、わたしが邪魔なら、そう言って下さい。わたし……本当は諦めたくないけど、一非君がそう決めたのなら、……諦めます」
「…………」
「だから、最後のお願いです、一非君。わたしと別れたいのかどうか、今ここで、ハッキリと言って下さいッ!」
 それは――最後の賭けとも言えた。
 わたしは卑怯だ……一非君がわたしを想って、何も言わずに別れようとしたのに、わたしはそれを蒸し返して、剰え混ぜ返そうとしている。一非君の厚意を無に帰してでも、現状維持に走ろうとしている。
 醜い。意地汚い。……そんなの、分かりきった事だった。どれだけ自己嫌悪しても、どれだけ認めたくなくても、自分でも分かっていた。
 ――それでもわたしは、一非君と一緒にいたい。どんな綺麗事を言っても、自分の気持ちに嘘は吐けない。
 相手の気持ちを想えば、わたしは別れた方が、何も言わずに立ち去った方が良いんだろう。……それが出来ないのは、わたしが弱いから。依存しようと必死だから。
 泣き崩れそうなのを必死に耐えて、一非君を見つめているのは、まだそこに縋ろうとしているから。
 ……だけど、
 一非君は、
「…………ごめん」
 最後の望みを、……その言葉で、――粉々に打ち砕いた。
 わたしには一瞥すらくれず、たった一言で、わたしの希望を破り捨てた。
 ――ああ、と。
 そこには何の光も無い。深淵の闇が大きな口を開いて待っていた。
 ……わたしは、一非君にとって、…………
 ぐ、と涙を堪える。泣いたらダメ、泣いたらきっと嫌な娘だって思われちゃう。
 でも……っ。
「……っ」
 堪えても、堪えても、決壊したように堰き止められずに溢れ出た涙が、頬を伝っていた。
 苦しくて、苦しくて、何とか声を殺そうとして、それでも抑えきれず、嗚咽が漏れる。
「っく……ぅく、……っ」
「咲結……?」
 泣かないように、泣かないように、そう思えば思う程、熱い感情が込み上げてくる。
 それでも息を殺して嗚咽を堪え、最後に一非君に別れを告げようとして――
「――咲結? ……行ったのか? 咲結?」
「……?」
 声を発さないようにしていたからだろうか、一非君は不安げな声を漏らし、……それでもわたしを見る事は無かった。
 ……もう、わたしの事は、見たくも無いのかな……
 そう思って静かに涙を拭っていると、――不意に一非君の顔がこちらに向いた。
 ――そしてようやくわたしは、異常を知る。
「……空冴め、咲結に何言いやがったんだ、くそ……」
「……?」
「早く戻って来いよ空冴のクソッタレが……」
 こちらを見てブツブツ呟く一非君。確かにその視線は虚ろだったけれど……
 ……わたしが、見えていないの?
 不意に怖くなった。同時に、――確かめたくなった。
 恐る恐る、わたしは虚ろな眼差しを向け続ける一非君に歩み寄り、――その眼前へと辿り着く。それまで、一非君は一切の反応を示さなかった。その双眸の前で、わたしは唾を飲み下して、――手を振った。
 反応は、――無かった。
 同時に、わたしには何の声も掛けられなかった。
「――一非、くん……?」
「! な、咲結!?」
 弾かれるように顔を窓へ向け、怯えたように体を震わせる一非。
「ま、まだいたのか……?」
「……一非、くん……? もし、かして……うそ、ですよ、ね……?」
 恐る恐るベッドを回り込んで一非君の顔を覗き込んだが、――その瞳は開いているにも拘らず、――光は、無かった。
 わたしを、捉えてはいなかった。
「―――見えてない、の……?」
「!」
 急に目の前で声がしたからだろう。一非君の表情は驚きに歪み、それからすぐに顔を背けるようにして――わたしはその顔を両手で押さえ止めた。ビクッと一非君が怯えるように表情を強張らせる。
「何で……っ何で、言ってくれないんですか……っ?」
「……っ」
「どうして何も言ってくれなかったんですかッ!!」
 胸が暴れて破れそうだった。痛い位に煩く跳ねる心臓に、わたしは吐き気さえも感じた。
 涙が止まらない。堰き止める関門が完全に破壊されたように、止め処なく感情の水が流れ出ていた。
 とにかく怖くて、声を張り上げていた。
「何で……ッ、こんな……、……あんまり……です、よ……っ」
 泣き崩れたまま、一非君の顔を抱き締めるように、その場にへたり込む。
 今はもう、何もしたくなかった。何も考えたくなかった。
 彼がこんな状態になるまで気づけなかった自分が、憎くて恨めしい。
 一非君はもう抵抗する気が無いらしく、ただただ疲れきった顔で、――笑んだ。
「……見せたくなかったんだよ、こんな俺」
 ポツリと零れる独白に、わたしは胸が裂けるのも構わず、耳を傾けた。
「……空冴にどれだけ話を聞いたか知らねえけど、……俺、もうすぐダメになる。そんな俺、見せられねえだろ……? ……俺みたいな老い先長くねえ奴と一緒にいたって、咲結に辛い想いさせるだけだ。……でも、俺さ、バカなんだよ。つか弱ぇ。『別れよう』の一言が言えやしねえ。……俺だって、咲結に言われたら納得できるんだ。オマエから別れたいって言ってくれたら、俺も諦められるんだ。……身勝手だって、我儘だって分かってるけど、これ以上長引かせると、きっと俺も咲結もダメになっちまう。……だから、俺から言うな? ……咲結、俺とわか――――」
「――わたしはッ」
 一非君の独白を遮って、わたしは涙声を発していた。もう息も出来ない位に苦しかったけれど、それでも言わなきゃならない。今言わなかったら、一生後悔すると思って、声を張り上げた。
 一非君の顔から少し離れ、真正面から彼の顔を見定める格好で、わたしは座り込む。
 一非君はわたしが見えていない筈なのに、その瞳は確かにわたしを向いていた。
「……わたしは、格好良い一非君が好きです。でも、それだけじゃない。わたしは、今みたいな一非君も、ちょっと意地悪する一非君も、拗ねていじけてる一非君も、ちょっとぎこちないけど微笑んでくれる一非君も、全部全部掛け合わせて、わたしは一非君が好きなんです!」
「ぁ……」一非君の口から、熱い吐息が漏れる。
「……何回、好きって言ったら信じて貰えますか? 何回、好きって言ったら認めて貰えますか?


 ……それとも、わたしの好きは、あなたに届きませんか……?」


「…………咲結……」
「……わたしだってバカです。自分の気持ちに嘘を吐けない、おバカさんです。だから、どうしてもあなたにわたしを認めて貰いたい。……今から、ちょっとズルしますね」
 ――す、と。
 一非君の顔に顔を近づけて、――ちゅ、と、その唇を容易く奪い取った。
 静かに唇を重ね、……少しして、顔を離していく。
 ……一瞬だけだけど、確かに一非君を感じた。
 ぽかん、としていた一非君だったけれど、すぐに頬を紅潮させて、俯いた。
「……わたし、一非君が好きです。あなたといるだけで、わたしは幸せなんです。……一非君が苦しいのも、辛いのも、分かち合いたい……これからもずっと、傍にいさせて貰えませんか……?」
 最後の、願いだった。
 これが、本当に最後。わたしの……最後の、夢。
 もし叶わないのなら、……ううん、叶わなかったらなんて、考えたくない。
 わたしは全身全霊を懸けて、その願いを叶えてみせる。
 だから、この審判は、本当に――ラストチャンス。
 これで、……終わりにしなきゃいけない。
「……俺は本当にダメな奴だぜ?」
 穏やかな、先程までの震えを感じさせない、とても落ち着いた声音で、一非君が呟きを漏らした。
「咲結に辛い想いをさせる、苦しい想いもさせる。きっと、俺といた事を後悔させる。……それでも、良いのか?」
「……一非君が認めるまで、何度だって言いますよ。わたしは、一非君が好き。一非君と一緒にいるのが、わたしの幸せなんです」
「……そっか」
 ぎこちなく、一瞬だけ宙を舞う一非君の手が、そっとわたしの頭に触れ、――優しく髪を撫でた。
「―――……ありがとう」
 熱い雫を流して、一非君が穏やかな、とても静かな笑みを浮かべて、……わたしにキスをした。
 ぎこちなかったけれど、――とても柔らかな、キスをした。



 その時やっと、わたしは夢から覚めたような気がした。
 長い長い悪夢のような現実が、緩やかに醒めていくような、そんな気がした……

◇◆◇◆◇

■一非■

 ……まだ、眼が見える。
 昨日……いや、もう今日か……咲結と寝た時、視力が一時的に回復した。もう見る事は叶わないと思っていた咲結を、再び視界に納められた事は、感謝してもしきれなかった。
 さら、と咲結の髪に触れて、その寝顔を堪能していると、――不意に気配を感じて扉へ視線を向けた。
「やぁ一非♪ 昨日は激しい夜だったね♪」
「……テメエ、聞いてやがったのか……?」
 苛立ちと恥ずかしさで顔が火照っていくのが分かる。動ける内に始末しとくべきかと立ち上がり、――何も穿いてない事を思い出して、思い留まる。
「……立て込んでんだ、用件だけ言って散れ」
「はっはっは、まあそう邪慳にするなよ一非♪ ……だけど、恋純さんは関わらせるべきじゃない、それは分かっているよな?」
 急に冷えた口調で言葉を紡ぎ出す空冴に、俺は取り立てて感慨を覚えるでもなく、普通に対処する。
「……俺さ、もしかして勝ち無しかも知れねえ」
「うん?」
「勝てたためしがねえんだよ、これが。……今回も、俺の負けだって事だ、空冴」
 可愛い、天使のような寝顔を見せる咲結の髪を弄りながら、そう囁き、更に継げる。
「……悲しませるって、分かってる。辛い想いも、苦しい想いもさせるって分かってるのに、……いざ別れようってなると俺、てんでダメだった。……ホント、弱かった。……だからかもな、俺、こいつみてぇになりたいって思ったんだよ」
「一非が、恋純さんみたいになりたいって?」
 意外そうな声に、俺は苦笑を禁じ得なかった。
「……こいつは、強ぇよ。俺なんかより、よっぽどな。……だから惹かれたのかも知れねえ。……俺、咲結と生きてみたくなった」
「……先に言っておくが、――報われないぞ。誰も、な」
 厳然と、そして峻烈に告げる空冴に、俺は僅かに表情を引き締めて、応じた。
「……分かってる」
 そう、分かってはいるんだ。誰も、助からないって。
 俺に深く関わった奴は、誰も報われないって。
 ……それでも、それでも俺は……咲結を、選んだ。
 どんなに苦しくても、辛くても、俺の傍を選んだ咲結を、俺は選んでいた。
 それが間違ってたなんて思いたくない。思わせない。
 俺は最期の時まで、……咲結と生きる、そう誓った。
「……はぁ、やれやれだね。全く、君と言い彼女と言い、どうしてこうも頑固者ばかりなんだろうね……」
「はっ、羨ましいだろ?」
「ああ、全く。見ていて腸が煮え繰り返りそうな位さ♪」
 ニッコリと応じる空冴に、俺も皮肉った笑みを浮かべて返してやった。
「むに……一非、くん……?」
 枕元で猫のような寝言が聞こえて振り向くと、瞼を擦りながら咲結が目覚めたところだった。
「おう、起きたか」
「あ……おはようございます、一非、く……」
 その視線が下の方に向けられ、かぁーと顔が充血していく咲結。
「はっ、あっ、のっ、えとっ、あ、う……っ」
 しどろもどろになって何かを伝えようとする咲結に、俺はどうしたものかと小首を傾げ、……元凶の一つである奴に向かって呟いた。
「……取り敢えず、出てってくれないか?」
「おや? 良いじゃないか、減るモンじゃなし」
「いや、テメエの命が削られる事になるが、それでも良いか?」
「どんな状況なんだい!?」
「あぅ、えと、一非君、ふ、服はどこでしょう……っ?」
「そこだな」
 指差す先は、ベッドの下。取るには一度ベッドを出る以外に無い。
「あぅ……一非くぅん……」
「ははは、今、取ってやるから、――って空冴は出てけやァァァァ!!」
「わあァァァァ!!」
 ……そうして、また朝がやってきた。
 アレだけ絶望していた夜も、当然のように、明けない事は、無かったんだ。

【後書】
 全年齢対象向けなので濡れ場は描写しないのですが、まァ、はい、そういうシーンです。
 と言う訳で、一非君の負けです。正直この時点で既に涙腺がヤバいんですが、まだこれも序の口なのがこの物語です。ズビズビ。
 …てか、今更ですけれどわたくしアレですね、当時から胸が軋む系の物語が大好きだったんだなって…ぱっぱらぱーなコメディも勿論大好きなのですが、心に響く系の物語もね、同じくらい好きと言いますか、何と言うんでしょうね、感情を揺らしたいんでしょうね!w
 さて、初夜を迎えた二人。まだ物語は更なる胸軋へと向かって進みます。お楽しみに~♪

2 件のコメント:

  1. 更新お疲れ様です。

    お互いのことを思う気持ちの強さに涙腺決壊です。
    先のことを思えば一非君の選択は彼女を大切に思えばこそ。
    ですが、咲結ちゃんの思いの強さが一非君を変えた。
    お互いが迷って迷って迷って至った結論。
    幸せな未来は見えないかもしれませんが…

    今回も楽しませて頂きました。
    次回も楽しみにしてます。

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    1. 感想有り難う御座います~!

      そうなのです。互いに相手を想っているからこその展開なので、涙腺決壊して頂けただけでわたくしもう感無量です…!
      幸せな未来は見えないかも知れませぬが、彼らが選んだ道ですから、最後まで見守って頂きたいです…!

      今回もお楽しみ頂けたようでとっても嬉しいです~!
      次回もぜひぜひお楽しみに~!

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