2019年5月6日月曜日

【春の雪】第16話 咲結の決意【オリジナル小説】

■あらすじ
春先まで融けなかった雪のように、それは奇しくも儚く消えゆく物語。けれども何も無くなったその後に、気高き可憐な花が咲き誇る―――
※注意※2009/01/22に掲載された文章の再掲です。タイトルと本文は修正して、新規で後書を追加しております。

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■キーワード
青春 恋愛 ファンタジー ライトノベル


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■第16話

第16話 咲結の決意


 ……気づくと空は茜色に染まりつつあった。
 不意に起き上がろうとすると、身動ぎの一つもしなかったためか、体が軋んだ。首や背中が酷く痛む。
「…………」
 暮れなずむ夕陽を眺め、――不意に一非君が恋しくなった。
 早く逢いたい。逢わないと、――忘れそうな気がして、更に怖くなった。
 昨日のように全力で一非君の家に向かおうとして、
「……理解したかな? ――一非の病気を」
「――星織、くん……」
 教室の戸に凭れかかってわたしを見る影――星織君は、冷静な、でもどこか優しげな眼差しで、わたしを射抜いていた。
 その体が戸から離れ、教壇へと向かって歩を進める。
「……《存在消滅病》またの名を《世界忘却症》……発症者は幾許かの潜伏期間を置いて、徐々に世界から姿を消し始める。どれだけ長くても十八年しか持たない、実に恐ろしい難病だ。……そこで、だ。君は一非が今年で何歳になるか知ってるかい?」
「一非君の、歳……?」
 わたし達と同じなら、今年で十八歳になるんじゃ……と思って、違う事がすぐに分かった。
「――留年……」
 一非君は、一年留年したと言っていた。なら、今年で彼は――
「……疾っくに一非は限界を迎えていたんだ。本来ならばいつ消えてもおかしくなかったんだよ。……根拠も証拠も論理も無いけれど、僕はそれは――君のお陰だと、思っている」
「わたしの……?」
 そう、と星織君は朗らかな微笑を湛えて、窓辺へと向かい、から、と窓を開けて枠に腕を突く。
「一非は、君に出逢う前、どんな奴だったと思う? 想像した事が有るかい?」
「あ……」
 そう言えば、聞いた事が無かった。留年したという事以外に、一非君の昔の話は、一度も聞いた事が無い。
 星織君は窓辺に背中を預ける形になって、わたしに微笑みかけた。
「こういう事は話しちゃいけないんだろうが、……一非は荒れてたよ、初めは、だけどね」
 語る星織君の表情はどこか影を刻んで、寂しげに映った。夕暮れが更にそれを際立たせるように、窓辺から教室へと差し込んでくる。
「……僕と兆さんが教えた。一非が罹ってる病気と、……一非の母親が患っていた病気を。それを聞いた一非は、初めは信じなかった。……でも、母親の事を思い出せない一非は、気づくんだ。戸籍にも無い、そんな人を見たと言う人もいない、誰も知らない母親と言う存在が、いた事に。……そして、一時的にではあるけれど、――荒れた。前に聞いた話だと、一非は何かを刻みたかったらしい。自分が生きた証を、この世に残したいと、本気で願って、ただただ暴力を振るった。〈恐怖〉を刻んで、自分を忘れさせないようにしたのかも知れないけれど、それは僕には分からない事だ。……そして、一非がその後、どうなったか分かるかい?」
「…………」
 わたしは、小さく首を否と振った。
 星織君は寂しげな表情のまま、酷くトーンを落とした声を、紡ぐ。
「――閉ざした。もう何者とも係わり合わず、ただ終わりの刻を待つだけの骸に成る事を、一非は選択した。自らの人生に何の価値も見出せず、ただ黙して間際を待つだけの、屍と化す事を、一非は選んでしまった。……でも、一非は見つけた。パンドラの箱の底に在った、最後の希望を――」
 紡ぎ終え、星織君は夕暮れに沈みゆく世界の中で、ただ一人、微笑を浮かべたまま、わたしを見定めていた。
「……あの時、わたしを振った理由が、やっと分かりました」
「うん?」
「星織君は何より、――一非君が、大事なんですね?」
 ――僕にはまだ、見守らないといけない奴がいるから――
 星織君は驚いたような表情を一瞬刷き、遅れて皮肉った苦笑が滲んできた。
「こう言うと嫌われても仕方ないけど……一非は、……違うな。僕は、一非が罹った病気に、何より惹かれた。あの病気は、完璧なんだよ、全てに於いて。あらゆる事象を無視して、究極のエンディングを与える。死さえも超越する――忘却。全ては無に帰すんだ。一非の最期は、僕達には有り得ないんだ」
 窓辺を離れ、演説するように手振りを交えながら、星織君は続ける。
「僕達が死ぬと少なからず親は悲しむ。親じゃなくても親しい友人が悲しむかも知れない。家族が悲しむかも知れないし、ペットが悲しむかも知れない。見ず知らずの人間まで悲しむ事だって有り得る。でも、一非にはそれが無い。誰も感知できないし、誰も気づく事さえ無い、――ただ消える。一切の干渉が無いんだ、その世界には。一非が消えても悲しむ者はいないし、そもそも消えた事を認知できない、そしてそれ以前に一非を知覚できない。存在の消滅とは、そういう事だ」
「……星織君は、自分を消したいんですか……?」
 熱心に話を始める星織君に少し寒気を覚えながらも、わたしは尋ねていた。どうしてそこまで一非君に――違う、一非君が罹った病《存在消滅病》に熱中しているのか、疑問に感じてしまった。
 星織君はとても寂しげな――ううん、もうそんな次元じゃない。極端に陰惨な微笑を浮かべて、応じた。
「……理解されたいとは思ってないけど、長い時間を生きてるとどうしても疲れてくるのさ。確かに、人によって時間の感じ方は違うよ? 君にとって十八年間はあっと言う間だったかも知れないし、悠久の時間だったかも知れない。時間の概念は人の価値観に帰属するものだ、誰にも文句を言われる筋合いは無い。……人から見れば、僕の人生はまだ始まったばかりのように見えるだろう。でも――もう、疲れたんだ。何にも干渉されずにこの世から消滅する方法を、常々考えていた。でも、見つからなかった。そんな時に――一非に出逢ったんだよ」
「――待って下さい。何か、おかしいと思ってたんです……今、分かりました。星織君、あなたは何故、一非君のお母さんが《存在消滅病》の発病者だと、知っていたんですか?」
 星織君の話を中断してでも聞いておかなければならない事だと、本能が告げていた。何か矛盾が生じている。星織君の話は、何かおかしい。
 暗い――暗鬱な笑みを刷いていた星織君は、まだまだ陽の落ちぬ教室で、ただその場だけに闇を生じさせていた。まるで、内に秘めた混沌が具現化したような、そんな雰囲気を醸し出している。
「……一非の病気を、君は信じられないだろう? だったら、――僕の存在もまた、君は理解できないと思うよ」
「―――それって……?」
「今は君の話だろう? 僕の話はしなくて良いんだ、恋純さん♪」
 ニッコリと、いつもの優しげで穏やかな微笑を浮かべる星織君。――でも、わたしにはそれが別人のように映っていた。
 ――まるで現実感が湧かない点では、一非君の病気と似通っていた。
「一非は君と付き合う事によって、生きようと言う気持ちを持ち直した。鬼野ティーチャーも言ってた事だが、君にも良い意味で作用したようだしね♪ ……だから、このまま続けば、一番良かったんだよ……。――でも、どうしてだろうね……世界は、そんな君達を嘲笑うように、――耄碌し始めたんだ」
 ――世界が、一非君を忘れていく。
 でも……未だに信じられない。これだけ異常な状態を目の当たりにして、それでもまだ信じきる事が出来ないでいた。
 そんな病気、本当に存在し得るのか、――と。
「……この病気が世間に知られる事は、まず無い。何故か。――発病者に関するあらゆる事柄が、全世界の存在から忘却されるからだ。どれだけ金を注ぎ込んでも、どれだけ人を呼んでも、どれだけ想っても――全ては無に帰す。僕達は憶えていられない。存在しないものを記憶するなんて、人間には出来ない芸当なんだよ」
「……だから、今までニュースにもならなかったんですか……?」
「当然さ。仮にニュースで流れたとしても、発病者が消滅した時点で、それに関する記憶はあらゆる存在から忘却される。報道した事も憶えていられないし、それを視聴した事も忘れてしまう。それが、――《存在消滅病》と言う不治の病なのさ」
 ……それを聞いた今でも、現実感が伴わなかった。
 どこまで行ってもフィクションのようにしか感じられない。どうしても信じられない。
 嘘だと、星織君の虚妄だと、言い張りたい。
 ――だけど、現実がそれを許さない。
 現に一非君の周囲から、一非君が消え始めているのが事実だった。写真から消え、携帯のアドレスから消え、出席簿から消え、……先生の記憶からも消え……
 ……でも、ならどうしてわたしは憶えているんだろう、と今度はそこに疑念を感じた。
「……《存在消滅病》は今、言ったように、殆ど解明されていない。完全なブラックボックスなのさ。調べようにも、以前一非の母親を検査した事が有るが、その時には一切の異常は検知できなかった。全く以て正常な健康体さ。でも、現に彼女は消えた。……十八年前の、今日みたいな暑い夏の日の事だよ。何の予兆も無く、……僕達の前から姿を消した。でも、消える間際まで、僕や兆さんは憶えている事が出来た。忘れなかったんだ、完全に消えた、その日まで」
 ……その日まで。
 それじゃあ今は、もうその時の事を……
 ――違う。憶えているんだ、星織君は。憶えているからこそ、こうして話せるんだから。
 と言う事は、何か解決の糸口が……?
「……僕達は仮説を立てたんだ、その時に。何故、一非の母親が消えるまで僕達は憶えていられたのか。それは世界の気紛れだったのか。それとも、一非の母親が僕達を忘れないようにしていたのか。或いは――僕達が懐く彼女への想いが強かったから、か」
 言い終えると、星織君はわたしに微笑みかけた。いつもの、朗らかな微笑。
「世界の気紛れで無い限り、君達は大丈夫そうだけどね♪」
「あ……」
 一非君は、……思い込みかも知れないけれど、わたしの事を想ってくれてる。わたしも、一非君の事を想ってる。だから……忘れないで、いられる……?
 ……でも、それでは根本的な解決になっていない。結局その場合も、――一非君が消えてしまう事には違いないのだから。
「……不治、なんですよね……でも、本当に治らないんですか……? 何か、手は無いんですか……っ?」
 懇願するように、縋りつくような眼差しを向けると、星織君は諦念を瞳に刷いた。
「……言わなかったかい? どれだけ金を注ぎ込んでも、どれだけ人を呼んでも、どれだけ想っても――助かりは、しないんだ」
「――――ッ」
 もう、泣かなかった。
 涙さえ、出てこなかった。
 嗄れたように、声も出てこない。
 ただただ、――虚しかった。
「……君は、選んでしまった、――一非を。それはつまり、どうあってもこの道を辿らなければならないという事だ――――」
 ……煉獄みたいだ、って思った。
 想うだけで心を焼かれ、触れるだけで手を焼かれ、近づくだけで総身が焼かれる。
 それは相手も同じ。想われるだけで心が焼かれ、触れられるだけで、近づかれるだけで総身が焼かれる。
 助かる道なんて初めから無い。有るのはただ、――虚無地獄への片道切符だけ。
「……さ、行こうか。時間も時間だし、家まで送ってあげるよ」
 手を差し伸べてくる星織君に、……わたしは屹然と起き上がり、自分の力で床を踏み締めた。
「……星織君は、一非君の家で寝泊りしてるんですか?」
 突然の質問に、星織君は面喰ったようにキョトンとしていたが、やがて不思議そうな顔で、「そうだけど?」と返答した。
「……そうですか」
 返して、――大した逡巡も無く、わたしは決意した。
「星織君。――一非君の家まで、送って貰えますか?」

◇◆◇◆◇

「――……えっと、それって……」
 戸惑ったような声を発する一非君と、驚きも露わにわたしを見つめる兆さん、そして、呆れたような表情で頬を掻いている星織君が、一非君の部屋に集結していた。
 時刻は間も無く七時を回ろうと言う頃。夕暮れは薄闇に取って代わり、橙の色を侵食していく最中だった。部屋にもその影響が表れ始め、電灯を点けないと仄かな薄暗さを与える頃。
 わたしが固めた決意を、この場に居合わせた面々に話しきったところで、わたしは一非君の反応を待った。
 一非君は凄く動揺して、それから視線を逸らし、……再びわたしに眼差しを向け直した。
「……本気、なんだな?」
「――はい。……今は少しでも、一非君の傍にいたいんです」
「そっか……」
 言って一非君は、徐々に困惑の色から躊躇の色へと表情を移ろわせていた。
 ……わたしが提示した案、それは――一非君の傍に居続ける事。それだけだ。
 実家を離れて、一非君の家で一非君の世話をする。……一非君に嫁ぐ形で、籍を入れたいと、そう申し入れたのである。
 勿論突然の話だったから、皆驚きを隠せないようだった。……でも、わたしはここで折れたくなかった。何としてでも一非君の傍に居続けたい。その気持ちで一杯だった。
「……俺は、そうしてくれると、その……メチャクチャ嬉しい。でも、親父、これって大丈夫なのか……?」
「お父さんは構わないよ。君達が想い合っていれば他に問題なんて有る訳が無いじゃないか♪」
「兆さん……。まあ、もし君達が本気でそれを望むのなら、僕が根回ししてあげてもいいよ。そういう事なら、僕、大得意だし♪」
「お前はお前でまたメチャクチャな事言い出しやがるな……。……ま、そういう事らしい、咲結。――俺で良ければ、喜んで」





 す、と差し出された手を見て、わたしはお姫様のように手を差し出し返し、――ぐい、と引き寄せられ、ちょっぴり強引にキスをされる。

 ちょっと雰囲気は無いけれど、確かにそれが――結ばれた瞬間だった。



【三章】 幸福の終わり/忘却の始まり――――【了】

【後書】
 突然週二更新になりましたが! もう次章が最終章と言っても過言ではないのでね、配信速度を加速です!
 と言う訳で、ひたすら絶望的な未来しか見えないこの物語ですが、果たして奇跡は訪れるのか。いよいよクライマックス間近です。どうか最後までお付き合い頂けますように…!

2 件のコメント:

  1. 更新お疲れ様です。

    大変遅くなってしまいました。
    絶望的な未来しか見えませんが、なぜかちょっとだけ光が見えたような気がしたのです。
    それが何なのか、どうして見えた気がしたのか、さっぱり見当もつかないままです。

    星織君…やはりとんでもない方でした。


    今回も楽しませて頂きました。
    次回も楽しみにしてます。

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    1. 感想有り難う御座います~!

      いえいえ…! お待ちしておりました…!
      そうなんです、ほんのちょっと、ほんの少しでも光が見えたのなら…!
      絶望しかない未来なのに、その光はとても尊いものだと思うのです。

      星織君はね、これ別の作品か何かで語り明かしたいぐらいには盛ってるのでね、いつかお話しできれば…!w

      今回もお楽しみ頂けたようでとっても嬉しいです~!
      次回もぜひぜひお楽しみに!

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