2020年9月6日日曜日

【ファイマト】貴女の隣を歩く【アークナイツ二次小説】

■タイトル
貴女の隣を歩く

■あらすじ
ただ隣を歩ける事が幸せ、なんて。

▼この作品はBlog【逆断の牢】、【pixiv】で多重投稿されております。

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【貴女の隣を歩く】は追記からどうぞ。
貴女の隣を歩く


 ロドスの移動都市の中に在る、オペレーター達の居住区である基地には、オペレーター達の指揮所や休憩室、ミーティングルームだけでなく、学が足りない者のために開かれた学習室や図書室なども用意されている。
 普段誰ともつるむ事無く過ごしている身として、こういう孤独を愉しめる場所に足を運ぶのは、間々有る事だった。
 絵本や童話を読むほど疲れている訳ではないが、専門書や哲学書を嗜む程に書に親しい訳でもない私は、その日もちょっとした息抜きに、活字を脳髄に補給しようと、一昔前の冒険絵巻を手にして学習室の扉を叩いたのだが、そこに普段では見慣れない存在が視界に飛び込んできた。
「う~ぬぬ……」
 マトイマルが、書物に向き合ったまま、しかめっ面で唇の上に筆を乗っけていた。
 日頃、こういう場を利用している者ではないせいもあるが、華道を嗜んでいるとは聞いていても、普段はサッカーに現を抜かし、戦時は我を忘れる程の傍若無人ぶりを発揮する鬼女である。周囲の人間が明らかに兢々と距離を置き、遠巻きに様子を窺っている光景がまざまざと現出していた。
 奇異な景色ではあったが、私は構わず空いている席――つまり今もなお難しい顔で「ぬぬぬ……」と不思議な唸り声を上げて書物と向き合っている鬼女の近くに腰を下ろし、我関せずと意思表示して持ち出したライトノベルを紐解く。
「ぬ~ん……」
「……」
 間近から放たれる不可解を言語化したかのような呻きに、浸ろうとしていた架空の世界から強制的に意識が引き上げられる。
「分からん……」
「……」
 何度もここではない絵巻の世界に思考を没入させようと試みても、彼女から漏れ出る困り果てた声に、意識が現実に戻ってきてしまう。
 マトイマル以外に座っている者がいなかったからこそ、快適に読書に励めると思ったのが運の尽きだった。逆に、まるでページが進まない。
 天命だと思って席を変えるか、読書を諦めるかしようと思って立ち上がると、マトイマルがこちらを見つめて悲しそうに、「ぬ、スマン。我輩、また煩かったか……?」と、まるで雨の日に捨てられた仔犬のような瞳で呟かれてしまった。
「……」
 ……何と無く、想像に難くない。彼女の近くで読書に励もうとした者が、困った様子で席を立ったのが幾度も繰り返されたのだろうと。
 マトイマルとて、意図して苦悶の声を漏らした訳ではないのだろう。心底困り果てていたからこそ、自然と漏れた吐露だったのだが、それが原因で人が離れていくのは、彼女にしても辛いであろう事は流石に理解できる。
 私は小さく吐息を漏らすと、彼女の脇に立ち、開いているページに書き記された文言を見やった。
 驚いた事に、……と言うと失礼だろうが、高次な内容の数学の参考書だった。
 普段こういうものを嗜んでいるとは思っていなかっただけに、私は数瞬思考が破断したが、まるでそれを見越したかのように、マトイマルはばつが悪そうに頬を掻いた。
「我輩、こういうのは専門外でな。勉強しようと思って手を出したのだが……全然分からなくて……」
「……流石にこれは、私の手にも余る内容だ」
 もしかしたらこの書籍に関する解説を期待していたかも知れないであろうマトイマルに、私は正直に告白した。
 数学に対して理解が無い訳ではない。狙撃を敢行する際、……いいや、そもそもが兵器を正確に行使する者であれば、或る程度の学を有している事は道理だ。
 戦時に於いては、弾道計算、残弾数の確認、彼我の距離や時間の計測などなど、あらゆる場面で数字が活用される。
 ……が、それも必要最低限の数字が読めれば問題は無い。今の時代、数字を読む事よりも、感覚的な操作に慣れている者の方が殆どだ。あくまで数字はダメ押しの確認や、数字の意味を知る程度さえ理解していれば、問題が生じる事などまず無い。
 マトイマルが紐解くこの参考書に記されている内容はと言えば、微分積分や因数分解など、戦場で使うには趣向が違っていたり、普段使いはしないであろう分野ばかりである。
 彼女がそこまで勉強家であった事実に驚きこそすれ、彼女が己の意思で学びたいと書物を手にして真剣に向き合っている事を笑う事など出来ない。私は他の専門家に当たるべきだと察し、そのまま席を外そうとしたのだが、マトイマルはそんな私の手を掴み、その力強い腕力で引き寄せた。
「ま、待って欲しい!」漏れ出た声がこの場に相応しくない音量だと即座に気づいたのだろう、慌てて口元を押さえた後、マトイマルは潜めた声で私を見上げた。「我輩、何を学べば良いのかも分かっていないのだ。どうか、教えてはくれないだろうか……?」
「……? 高次の数学を理解するために参考書を開いていたのではないのか?」
 では何のためにこんな難度の高い書物を持ってきたのだ? と訝しんでいると、彼女は乾いた苦笑を浮かべ、「実は……」と、ばつが悪そうに語ってくれた。
 何でも、龍門の市街へ買い物に繰り出した彼女は、露天で見つけた素敵な品を購入する際に、金額をちょろまかされ、損な買い物をしてしまった。それをドクターに知られ、今後は騙されないように、数字に明るくなるのも良いかも知れないな、と提言された。そこで彼女は数字の参考書と思しき書物を広げたものの、理解が出来ず、今に至る……と。
 ドクターの言い分は理解できるし、その進言自体は彼らしい理に適うものであるのだが、であればマトイマルに相応しい書籍を用意してまでが完璧な対応だったのに、と思いながら、私は納得の意を示す鼻息を落とした。
「ならば、まずは児童向けの数学書を当たるべきだな」マトイマルが広げていた書物を纏め、それを持って彼女に背を向けた。「案内する、付いてこい」
「い、良いのか? ファイヤーウォッチも何か用事が有ったのだろう……?」
 いつも凛々しく決まっていた柳眉が、情けなくハの字になっているマトイマルを振り返り、私は小さく肩を竦めて再び前を向いた。
「貴女が書架の狭間で迷う時間を短縮したいだけ。それが済めば立ち去るから安心して」
 言外に、私がいては邪魔だろうと含めたつもりだったのだが、マトイマルは「有り難う! ファイヤーウォッチは優しいな!」と、懐いた大型犬のように私の周りをうろうろ回りながら嬉しそうに八重歯を覗かせて笑んだ。
 浮足立つ彼女に、はしゃぎ回る幼児を見守る保護者のような感情を懐きながら微笑を返すと、書庫へと足を向ける。
 基地の中を彼女と連れ立って歩く事があまりに稀有な事だからだろう。オペレーターや職員が奇異の視線を覗き込んでくるが、私は一切気にならなかった。
 本を探すための道中を共にしているだけだ、他意など有る訳が無いのだが――戦場とは異なる、高揚感が胸を高鳴らせていた。
 嬉しそうに笑う彼女の隣を堂々と歩ける今が、ずっと続けば良いのにとさえ願ってしまう程に。
 見慣れた通路が、今だけは華やかな回廊のように思えて、頬が綻びそうになる私は、もしかして――ちょっとだけ、浮かれているのかも知れないな。
 ただ貴女の隣を歩ける事が幸せ、なんて。

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